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陶芸とカフェの店「陶工房 絵咲木」を営む江崎久美子さんと、舞台俳優にして脚本も手掛ける「文平座」の中村文平さん。長らく東京で活躍していた文平さんが八女に帰郷し、お芝居で田中吉政を演じたことから、2人は田中吉政の魅力にどっぷりと浸かることになります。
そして、ついには「田中吉政史談会」を起ち上げて、田中吉政の波乱の人生を紐解くことになったのです。
きっかけは田中吉政の子孫!?
「じつは私、田中吉政の子孫なんです」。すべては「陶工房 絵咲木」の常連客が発した、この一言から始まりました。もともと歴史好きで舞台の脚本も書く文平さんに、田中吉政の子孫であるカフェの常連客が「田中吉政の実像を誰も知らない。お芝居で知らせてみてはどうだろう?」と持ちかけたのです。
当時、田中吉政のことをあまりよく知らなかった2人でしたが、この一言をきっかけに文献や資料を読み、吉政について調べ始めるようになりました。
今では田中吉政の菩提寺・真勝寺や、田中吉政の次男・則政公の菩提寺・西方寺などで、田中吉政を主役に演劇を上演している「文平座」。2人の田中吉政に関する知識と想いには、並々ならぬものがあります。
なんと魅力的なお殿様!知れば知るほど、顔も中身も男前
田中吉政は、無名時代の豊臣秀吉に仕え、その後、豊臣秀次の筆頭家老となり、最後は初代筑後国主三十二万五千石の大名にまで昇りつめた人物です。
秀吉・信長・家康という三英傑とも関わりがあり、関ヶ原の戦いでは東軍として石田三成を捕縛する大功績を挙げました。捕縛した三成の身なりを整え、ニラ粥を与えて体調が回復するまで手厚く看護したというエピソードも残されています。
家康の目を気にすることなく、敵方にも礼を尽くした吉政。江崎さんいわく「女性が絶対に好きになるタイプ。細かいところまで心配りができるのに、肝は座っている。器の大きい人」だったようです。
インフラ整備から経済・流通まで。都市のグランドデザインを描く
田中吉政は、インフラ整備などの都市計画に優れた才能を持っていました。交通の要所となる街道を整備したり、日本初となる下水道を造ったり。今でも久留米と柳川を結ぶ道には、「田中道」という異名が残されています。
また、街道沿いの湿地帯を開墾した者には年貢を永久に免除するなど、整備した街道の繁栄にも力を尽くしました。豪腕を振るうだけでなく、吉政は城下町を散策しながら町民の声に耳を傾け、藩政運営に活かしたとも言われています。
文平さんに言わせると、「田中吉政はふんぞり返っているようなボスじゃない。自ら先頭に立って率いていくようなリーダー」。罪人を罰することなく、家や田畑を与えて更生させるなど、情に厚い一面も持ち合わせていたようです。
江崎さんと文平さんの“田中吉政”行脚は続く
江崎さんと文平さんは、田中吉政のお膝元・八女で文献を探したことで功績だけでなく、その人物像にまで迫ることができました。しかし、2人の成果はそれだけに留まりません。
2人は田中吉政が築城した、もしくは関わったとされる長浜城・清州城・岐阜城・彦根城・近江八幡城・名古屋城・岡崎城・西尾城・京都聚楽第・伏見城・大阪城など、そのすべてに足を運び、現地調査を行ってきました。
さらには東京大学の資料編纂室に眠っていた、田中吉政の肖像画を発見したのです。肖像画の田中吉政は、かなりの男前。気になる方は、お祭りの期間中に「陶工房 絵咲木」で開催される「戦国茶房」へぜひ。
「戦国茶房」には、戦国時代のエピソードが盛りだくさん
あかりとちゃっぽんぽんの期間中は「町屋まつり」の一環として「陶工房 絵咲木」にて、田中吉政に出会う「戦国茶房」が開催されます。戦国時代には、興味深いエピソードが盛りだくさん。田中吉政の活躍や手柄をパネルなどで紹介します。
肖像画を見る際は、摂津池田盗賊追捕で負ったという吉政の顔の傷にもご注目。この傷を見た豊臣秀吉の驚きの一言など、興味のある方はぜひ江崎さんと文平さんに話しかけてみてください。次から次へと、面白いエピソードが飛び出します。
また、文平さんお手製の甲冑を身に着けて、写真を撮影することも!歴史ファンにはたまらないイベントとなっています。
- 日にち:20日(金)〜23(月)
●時間:10:00〜20:00
●場所:陶工房 絵咲木(八女市本町65)