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燈籠人形のエキスパート!遣い手歴50年の諸冨さんに、燈籠人形の魅力を語っていただきます。
燈籠人形を支える、縁の下の力もち
燈籠人形には、遣い手・衣裳方・囃子方がいます。だいたい人形を操る遣い手が全部で18名、囃子方が20名、衣装方が6名ぐらいですね。
それに幕落としや幕明けなど、一つの公演に大体50人〜60人の人手が必要になります。
燈籠人形の舞台を「屋台」と呼びますが、この屋台が3層になっていて、一番下に「下遣い」と呼ばれる遣い手がいます。下遣いは下から紐を引いて、人形を操ります。
そして2層目の舞台の両脇にいるのが「横遣い」と呼ばれる遣い手です。横遣いは棒を突いたり引いたりして、人形を操ります。
3層目には囃子方がいて、ここで太鼓や三味線を演奏し、地唄を歌うわけです。
裏では衣裳方が、公演の合間に人形の衣裳の着付けをしたりと、バタバタしています。
4年に一度のお楽しみ!今年の芸題は…
今、保存会に残っている芸題は4つあって、それを毎年順番に上演しています。
今年の芸題は、「薩摩隼人国若丸厳島神社詣」です。
あらすじは、薩摩国の若君・国若丸が、戦の勝利とお家の安全を祈願するため、家老を連れて厳島神社に詣でるというお話です。訪れた厳島神社で2人が海を見ていると、海中からきらびやかな光とともに水柱が立ち、厳島の尊い神様が現れて…と。
その先は、燈籠人形でお楽しみ下さい。
燈籠人形ヒストリー
もともと八女は、和紙の産地でした。その和紙が、熊本の山鹿灯籠に使用されていたんですね。そのご縁で、山鹿灯籠をお借りして神社に奉納していたのが、燈籠人形の始まりと言われています。
最初は張り子の飾り人形で、中に灯りが点るくらいだったんでしょう。
それが松延甚左衛門の手により、カラクリ人形になったというわけです。余談ですが、松延甚左衛門は福島組大庄屋の4代目で、ここの初代が福島八幡宮を寄贈した人だそうです。初代が寄贈した神社に、4代目が作った燈籠人形を奉納したことになるわけですね。
この松延甚左衛門に続き、燈籠人形のカラクリに影響を与えたと言われているのが、久留米出身の田中久重です。田中久重は、芝浦製作所(後の東芝)の創業者。新しいカラクリを次々に発表し、「からくり儀右衛門」とまで呼ばれた人物です。彼が作った「弓曳童子」はカラクリ人形の名作と言われています。
松延甚左衛門と田中久重。この2人の手で、燈籠人形のカラクリは大きく飛躍したのです。
私は遣い手になってもうすぐ50年です。働きだしてすぐに、遣い手になりました。
皆さんがおっしゃるように、昔の燈籠人形はものすごい人気で、遣い手や後見役をやりたいという人はたくさんいました。じつは私は小さい頃に「後見役」もしたことがあるんですよ。
昔から親しんだ燈籠人形を、今の若い人たちにも楽しんでもらい、つないでいってもらえたらと思います。